トランクルーム・コンテナ一覧

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  • さいたま市概要

    埼玉県さいたま市は、埼玉県の南東部にある政令指定都市です。同県の県庁所在地でもあります。
    2001年5月1日、浦和市・大宮市・与野市の3市が合併し、さいたま市が発足しました。旧大宮市域に西区・北区・大宮区・見沼区。旧与野市域に中央区。旧浦和市域に桜区・浦和区・南区・緑区を設置しました。
    2005年4月1日、更に岩槻市を編入して、岩槻区を設置。関東圏域内でも特に大きな都市となりました。
    人口は令和元年9月1日統計で、130万人。全国815市の中で9位(令和元年6月1日統計)。埼玉県だけでなく、関東近郊でも随一の多さを誇っております。
    埼玉県さいたま市の県庁所在地・旧浦和市は、西側に荒川を挟み朝霞市と隣接。東側には綾瀬川を挟み岩槻市と隣接。北方向へは旧大宮市、旧与野市と隣接。南方向へは、蕨市、戸田市、川口市と隣接しております。
    市の中央部は台地、西部荒川流域は低地となっております。荒川流域はかつての見沼跡地であり、かつて武蔵国に存在した巨大な沼、通称「見沼田圃」です。

  • さいたま市の歴史

    古くは江戸の時代。中山道宿場町として栄えました。常盤にて毎月二と七のつく日に市を開催する「二・七の市」が盛んとなり、町場として発展をしてきた歴史を持ちます。
    明治時代には、武蔵県、大宮県という名称となり、明治2年浦和県となりました。その後廃藩置県の後、、岩槻県、忍県、小菅県などと合併して、現在の埼玉県となりました。埼玉県発足の際、県庁の施設は旧浦和県の施設が用いられた為、現在もさいたま市浦和区が県庁所在地となっております。

  • さいたま市の交通

    さいたま市交通の要所「大宮駅」は、新幹線・在来線ともに、東京と東北地方・信越地方を結ぶ路線の分岐点となります。乗り入れ路線は、16路線(令和元年9月現在)乗り入れ路線の数は、東京駅に次いで全国2位。埼玉県内のみならず、東日本の交通の要所である巨大ターミナルです。
    1894年12月、大宮駅北側に車両工場を設立。更に、大宮駅より2キロの位置に鉄道博物館を創設する等、鉄道の街として広く認知をされています。

  • 「文教都市」さいたま市

    現在(2016年6月統計)、学区年収全国2位が、平均世帯年収850万円のさいたま市浦和区の常盤小学校です。埼玉県内、特に旧浦和市または旧浦和市近辺の、再開発地域が、埼玉県内の平均年収上位5件中の4件を占めます。
    明治6年、教員養成機関、学制改正局(現・埼玉大学教育学部)が旧浦和市に配置され、その後次々と、医学校、県立浦和第一尋常中学校(現在の埼玉県立浦和高等学校)、県立浦和高等女学校(現在の埼玉県立浦和第一女子高等学校)等、次々と開校され、その後も教育施設の充実が進みました。現在でも「文教都市」としての地位を確立しています。

  • 「サッカーのまち」さいたま市

    サッカーのまちとして知られるさいたま市。特に浦和は、明治時代にサッカーが伝わって以来、浦和高校、浦和西高校等、高校サッカーが盛んとなり、次々と全国大会で優勝を遂げました。中でも浦和市立南高校は、全国初の、単独校による三冠王となりました。
    さいたま市大宮には国内最古のサッカースタジアム「さいたま市大宮公園サッカー場」が現存します。
    現在、さいたま市は「浦和レッドダイヤモンズ」、「大宮アルディージャ」2つのサッカーチームを保有しており、サポーターの熱狂的な応援が世界でも広く認知されています。
    浦和レッドダイヤモンズ、大宮アルディージャ共に、小学校や幼稚園等の授業支援やサッカー教室の開催、各種イベントに参加・協力を行う等、「サッカーのまち さいたま」の、シンボルとして地域に密着した活動を行なっています。

  • 川口市概要

    埼玉県川口市は、埼玉県南端、荒川北岸に位置する都市です。
    中核市、保健所政令市に指定されています。人口は埼玉県県庁所在地さいたま市に次いで県内2位。
    南の荒川を挟んで東京都に接しているため、市の大部分が「都心から10キロ~20キロ圏内」に含まれております。
    東は埼玉県戸田市・蕨市と隣接。北は埼玉県さいたま市と隣接。東は埼玉県草加市と東京都足立区隣接し、南は荒川を挟んで東京都北区と隣接しております。
    古くから鋳物の町として有名で、1964年の東京五輪の聖火台は川口市の鋳物工場が製作しています。

  • 川口市の歴史

    近年川口市内には、埼玉県を代表する「新郷貝塚」や、県選定の重要遺跡「前野宿貝塚」等、旧石器時代の遺跡が多く発見されております。
    川口市周辺に人が住み始めたのは、今からおよそ2万年前。その頃はまだ河川改修等行う前の時代の為、川口南部は海面下でした。その為、川口市北東部の台地に、旧石器時代の「天神山遺跡」や、縄文時代「新郷貝塚」をはじめ多くの貝塚遺跡が残されております。
    旧石器時代は、海の沿岸で農業が広く行われていた地域でしたが、その様子が様変わりするのは、江戸時代。
    江戸時代の頃、現在の川口は「川口宿」と呼ばれておりました。日光御成街道・宿場町として栄え、河川の改修や見沼用水をはじめとした用水路の建設等を行いました。
    改修した河川を利用し、荒川や芝川での舟運が運航されるようになると、舟・陸上共に江戸への日常物資の運搬、商品開発、生産・流通が盛んとなりました。この頃より、川口市は「鋳物工業」「植木工業」等、産業都市として発展を始めました。特に幕末の時代には、軍事産業として兵器製造が多く行われておりました。

  • 鋳物の街・川口

    明治時代に入り、明治2年の版籍奉還により、大宮県、浦和県を経て、現在の埼玉県に属しました。名称も「川口宿」から「川口町」へ変わりました。
    明治以降、川口の鋳物工業は日本の重大な役割を担うようになります。明治43年に「川口町駅」開業。そして現在の新荒川大橋が完成すると、更に陸上輸送が増強されるようになり、川口の鋳物工業製品は、東京、関東地方のみならず日本全国・朝鮮・台湾まで広がりました。大正の時代になると戦争勃発により、海外よりの注文が殺到。急速な機械鋳物工業の生産増大により、川口町(現在の川口市)の工業も大きく発展していくこととなり、「鋳物の街・川口」の名は、全国に知られるようになりました。
    戦争終結後は苦難の時を越えながらも、再生の核となる鋳物工業を旗頭にして復興が進められ、戦後復興のシンボルとして1964年東京五輪オリンピックの聖火台が、川口市で作られました。

  • 現在も発展を遂げる川口

    発展を遂げた鋳物工業ですが、1960年以降は都市化が急速に進みました。川口市内の中小工場は、移転を開始。鋳物工場の跡地には高層マンションや集合住宅等、高層建築物が立ち並び、現在では「鋳物の街・川口」の頃とは大きく変化しています。
    北部をJR武蔵野線、西部をJR京浜東北が横断し、更に市中央部に埼玉高速鉄道が開通することにより、更に東京へとアクセスしやすい住宅都市へと変貌しました。

    川口市北部には歓楽街の「西川口」、川口市南部には有名な「川口オートレース場」があります。現在(2019年8月調べ)、政令指定都市を除いた市の中では、千葉県船橋市に次いで人口全国2位。JR特急列車が停車しない市としては、日本全国で最も人口が多い都市です。
    埼玉県内でも、在留外国人が多い都市として有名です。人口の多い国籍として、中国、韓国・朝鮮、ベトナム、トルコと続きます。
    川口市・蕨市一帯にはトルコ国籍在日クルド人が日本で最も多く在住しており、日本国内に住んでいるクルド人の約6割が川口・蕨在住です。市内ではケバブサンドの屋台や、クルドのダンス・音楽が楽しめるイベントが多く催されております。